芸術や芸事で大事な事は「好き」という感覚をずっと持ち続けることだ。そしてそれを仕事にするのならばなおさら頑なにそこに固執するのも悪くないだろう。むしろ非常時にこそその根強いキャラや必要性、普遍性、需要があると今回のコロナで実感した。もちろんそこにはその人の人間性があっての前提だが。この「好き」という感覚を磨いたり再発見したりするというのは脳が柔軟出ないと出来る代物ではない。極めて純粋な感覚であり、妥協妥協で生きて来た人間や脳では到底そこには到達出来ない。あるサラリーマンバンドがいて彼らは好きで長いこと音楽活動している。その情熱は大変敬意に値する行為だ。しかし、内容はどうかと言えば残念ながら消して好ましものとは思えない内容で彼らの生き様が音に出てしまっている。まあそれが彼らの趣向なのでなんとも言えないが、ただ客観的に聞いていて「不純物」が多すぎて気持ち悪くなる。「好き」という行為をさらに崇高な事象まで持っていくとするのならそれではハッキリいって全然ダメである。昨今の脱炭素と同じで「理想と現実」が取り沙汰されているが芸事や芸術というのは「理想」があっての話だ。汚い「現実」にまみれたものにはなんの価値もない。そんなものは最低最小限で良いのだ。不愉快な事を続けていて人生楽しいかい?
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